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札幌高等裁判所 昭和25年(う)711号 判決

控訴人 被告人 山本一夫

弁護人 岩沢惣一

検察官 樋口直吉関与

主文

本件控訴を棄却する。

当審の訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

被告人及び弁護人の各控訴趣意の要旨はいづれも別紙記載の通りである。

よって先づ弁護人の控訴趣意について考へて見るに原判決が認定した判示第二の事実は、

被告人は、昭和二十五年一月頃一時使用のため西村タヨから同人所有にかゝる旭川市三条通り十三丁目西村アパート内の六畳一室を賃借したが、同年三月頃西村から右賃貸借解約の申入を受けその後その六畳室の明渡しを求められるにいたつた。それで同年七月八日頃においては、右六畳室についての被告人の賃借権は消滅しており、被告人がその後継として右六畳室の使用者を定めて見たところでその者がその賃借権者となるわけでもなく又その六畳室に居住することを西村タヨが承諾するものでもないこと明かな情況にあつたし真実西村の承諾を得るような心算はないにもかゝわらず、賃借権譲渡を口実に他から金員を騙取しようと考えて、同日同市七条通り筒井信晃方において、高波信行に対し、右西村アパート内の六畳一室は被告人に賃借権があり権利金として金三千円を渡してくれゝばこの賃借権を譲渡し家主の西村タヨの承諾を得て直ちに右六畳室に居住のできる運びにする旨を告げて、同人をその通り誤信させ、よつてその翌九日前記西村アパート内において同人から六畳室賃借権譲渡権利金名義の下に金三千円を交付させてこれを騙取した。

というのであつて、被告人が西村のアパートの六畳室を賃借したのは一時使用のための賃貸借と認めている。

しかしながら原判決挙示の西村タヨの検察官に対する供述調書と被告人の検察官に対する供述調書とを彼此検討すると、西村は昭和二十五年一月から被告人にそのアパートの六畳室一室を賃貸したが、それについては被告人が妻を呼びよせてから賃貸借契約書を作成することゝし、それまでは一ケ月金三百円の賃料とし、その他の条件は別段これを定めなかつたこと、被告人が妻を呼びよせる時期も未定であり、又何時までに呼びよせない場合はどうするといふ申し合せもなかつたこと、が認められるのであつて、これによれば妻を呼びよせないということも、それによつて賃貸借を終了させることにはならないことは勿論、その部屋の利用の性質上その賃貸借の目的が臨時的であるともいへないし、又契約の動機からしてその賃貸借が臨時的のものであることが明瞭な場合ともいへない。尤も被告人は当初西村に対し、何時でも要求次第明渡すことを約諾したことが認められるけれども、それは契約の臨時性を意味するものとは解せられないのである。そうすると本件は一時の賃貸借ではなく弁護人の主張する通り通常の賃貸借と見るのが妥当であつて、従つて本件は借家法の適用を受くべきものであるとしなければならない。

ところで貸主西村は昭和二十五年三月頃被告人に対して明渡を要求したことは右の証拠によつて認められるけれども、借家法の適用を受くる本件賃貸借においては、借主が予めなした明渡の約諾は無効であるし、たといそれが正当の事由のある解約申入であつたとしても六ケ月の予告期間を置かなければならないし、又被告人の賃料不払を原因とする解除の意思表示であると見られる資料もないのであるから、昭和二十五年七月八日頃は被告人の賃借権はまだ消滅していなかつたものと認めざるを得ないのである。

従つて原判決の判示はこの点において誤つている。

弁護人は右は原判決の理由のくひちがいであると主張するけれども原判決が前記のように本件賃貸借を一時使用の目的であるから昭和二十二年七月八日頃には消滅していたと判示したのは、結局その挙示の証拠のうち如何なる部分を証明力ありとして採用するかの判断を誤つた結果の認定の誤りであるから、それは理由のくひちがいではなくて事実誤認であるといはなければならない。

よつて原判決には以上の点について事実誤認があるのであるけれども、この誤認が判決に影響を及ぼすこと明らかな場合であるか否かを判断するに、被害者高波信行が被告人に金員を交付したのは、被告人から前記六畳の部屋については被告人に賃借権があり、権利金として金三千円を渡してくれゝばこの賃借権を譲渡し家主西村の承諾を得て直ちにその部屋に居住のできる運びにする旨を告げられたので、その通り信用した結果によるものであることは、原判決認定の通りであつて、これによれば高波はその金員を被告人に渡せば直ちにその部屋に居住できるものと信じたからこそ、その金員を渡したのであつて、若し直ちに居住できることになつていないならばその金員を被告人に渡さなかつたものである、といふ点が、本件が詐欺となる所以の重点であつて、被告人の賃借権が消滅していたか否かは高波が直ちにその部屋に居住し得ることになつていたか否かを決するための副次的な材料たる事情にすぎないのである。而して高波がその部屋に居住できるか否かは、むしろ家主西村タヨの意思如何にかゝる問題であつて、被告人の賃借権が消滅していなかつた本件の場合といへども、西村が賃借権の譲渡を承諾しない限り高波は右六畳室の賃借権を取得するに由がないわけである。しかるに原判決は、高波がその部屋に居住することを西村が承諾するものでないこと明かな情況にあつたし、又被告人が真実西村の承諾を得るような心算はなかつたといふことを認定しており、この認定は一件記録に徴するに誤りはないのであつて、そうすると被告人の行為はこの点において既に詐欺罪を構成すること疑のないところである。

以上の通りであつて、被告人の賃借権が消滅していたと認定した点は原判決は前記の通り事実誤認であるけれども、その消滅の如何にかゝはらず詐欺罪となること前述の如く、しかも右の点に誤認があつたとしてもそれがため量刑に影響があるとも思へないのであるから、右の誤認は判決に影響を及ぼすこと明らかな場合とはいへないのである。

以上の理由により弁護人の控訴趣意は理由がない。

次に被告人の控訴趣意を調査するに一件記録に徴すると原判決に事実誤認の点は前記の点を除いては認められないし、その他控訴趣意に主張するような事実は認められないのである。

よつて本件控訴は理由がないから刑事訴訟法第三百九十六条によりこれを棄却することゝし、当審の訴訟費用は同法第百八十一条第一項によりこれを被告人の負担とし、主文の通り判決する。

(裁判長判事 竹村義徹 判事 西田賢次郎 判事 河野力)

弁護人岩沢惣一の控訴趣意の要旨

原判決は理由にくいちがいがある。原判決はその判示第二において、昭和二十五年七月八日頃被告人の賃借権は消滅していたと言わるゝのであるが、之は消滅していないと思う。

原判決は西村タヨと被告人の賃貸借を一時使用の為の賃貸借と説明しているが、之は相当疑問である。一時使用のための賃貸借は建物利用の性質上その目的が時間的に永続性を有しない場合でなければならない。例えば祭典、避暑などのために数日又は数月を賃借する場合の如きである。然るに本件の賃貸借は斯る時間的の特約がないばかりでなく永続性がある。只賃貸借契約のときに被告人の妻が来たら借家証書を差入れると云う約束であつたに過ぎない。尤も西村タヨは「間借の約束は奥さんが来てから判然り書くものも書いて貰い話を決めるそれまでは臨時に入つて貰うといふ事を話しておきました」と述べているのであるが、之は賃貸借の永続性を否定するものでなく寧ろ永続性を物語るものである。

つまり妻の来るまでは詳細な賃貸借の内容を極めずに賃貸して置いて妻が来たら詳細な取極めを為すと云うのであるから一時的のものでなく永続性のある賃貸借である。而して家屋の賃貸借は借家法の定むるところによらなければならないのであるから賃貸借の解約は六ケ月前に為すことを要する。故に解約の申入を為した時より六ケ月を経過しなければ賃貸借は終了しない。そして原判決は昭和二十五年三月頃解約の申入があつたと言はれるのであるから解約申入に因る賃貸借の終了は、それから六ケ月後の九月に終了する訳で、七月八日頃は終了していない。然るに原判決は「七月八日頃においては右六畳室についての被告人の賃借権は消滅しており」と判示したのであるから理由にくいちがいがある次第である。

(被告人の控訴趣意は省略する。)

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